2018年1月8日月曜日

成人の日で祭日でした。今日は下流(東京湾方向)に向かって江戸川堤防左岸を3時間ちょっとウォーキング/ジョギングしてきました。復路は堤防を下りて、畑の間を通って矢切の斜面林を上って、お寺や神社に寄りながら園芸学部に帰ってきました。
園芸学部構内のユズリハという庭木には濃紺の実がなっていました。
研究圃場には嘴細(はしぼそ)ガラスがいました。






上矢切の江戸川堤防下には小さな神社があり、参道にヘビの置物がありますので弁財天ではないかと思います。




さらにちょっと進むと、もっと小さな石造りの弁財天/水神が2つあり、新しい方は昭和63年(1988年)と刻んでありますが、古い方には寛政7年(1795年)と刻んであります。
こんなに近い場所に2つも弁財天の神社があるということは、上矢切(かみやぎり)と中矢切(なかやぎり)は江戸時代からそれぞれ地区が違っていたということかなと思いました。





矢切の渡しの近くの堤防上には川の一里塚の説明板と少年像が立っています。少年像は魚釣りにでも行く途中のようで、前から見ても後から見てもよくできていて、私の子供の頃ののんびりした景色を思い出させて明るい気持ちにさせてくれます。





堤防と矢切の斜面林の間には広い農地があり、今の時期はキャベツ、ダイコン、ネギ、ブロッコリ、カリフラワーなどがありました。農家が硫安をキャベツ畑に追肥していました。
農家が、紫色のカリフラワーはあまり消費者に人気がないとこぼしていましたので、レシピー(料理の仕方)を付けて出荷したらどうですかとコメントしてきました。











畑の間の小道を斜面林に向かって行くと、坂川にかかった橋のたもとに小説「野菊の墓」の一節を紹介した碑が立っています。



さらに進んで斜面林を上ると、西蓮寺があり、境内に無造作に置いてある石像には宝永3年(1706年)と刻んでありますので、今から312年前に造られたもののようです。







下矢切には矢切神社もあります。由緒には、約500年前の永禄年間に里見氏が国府台城の大堀に奉安したのが始まりと書いてあります。境内には狛(高麗)犬の他に狐も設置してあるのは、元々の第六天神にお稲荷様が合神されたせいかもしれません。





さらに園芸学部方向に戻ると、上矢切の神明神社があります。ここには享保5年(1720年)と刻んだ石塔がありますので、やはりかなり古くからある神社のようです。





園芸学部のすぐ近くの小山の浅間神社には、道を1本隔てて弁財天宮があり、昔は水が湧き出ていたと説明されています。




2018年1月7日日曜日

3連休の中日でしたので、水元公園Bブロックの小合溜やAブロックのバードサンクチュアリまで行って3時間40分ウォーキング/ジョギングしてきました。
快晴でしたので、葛飾大橋から江戸川下流方向に富士山と東京スカイツリーが見えました。堤防を下りて水元公園Bブロックに向かう桜並木の入り口付近には看板が立っていて、昭和22年(1947年)のカスリーン台風(当時は進駐軍が統治していた時代だったので台風に英語の女性の名前が付けられていた?)で堤防が決壊して大きな被害が出た時の写真と説明が載っています。




水元公園Bブロックには小さい水路や池や大きな小合溜がありますので、いろいろな鳥に出会えます。今日は珍しく、コブハクチョウと思われるハクチョウが1羽来ていました。
水の中の杭の上に立っているカワウが、頭部を思いっきり背中側に反らせる奇妙な恰好をしていました。柔軟体操(ストレッチ)か、縄張り(占有権)の誇示か、求愛行動か、・・?













Bブロックにはいろいろな木が植栽されていますが、ラクウショウ(別名ヌマスギ)とメタセコイア(別名アケボノスギ)の林は見ごたえがあります。
この辺りには豪雪地帯ではありませんが、2本のマツには雪吊りがしてありました。
2種類の実(雄花と雌花か?)がなっている木がありますが、私には名前はわかりません。
公園内の一角には小さな森があり、東京都が昭和17年(1942年)に用地買収した時の須賀神社の跡という説明版が設置してあります。須賀神社はどこに移転したのかは記載されていません。昭和17年の用地買収が公園設置のためだったのか、軍事目的だったのか、調べればどこかに記録があるのかもしれません。






 
 












帰りは夕方の時間になり、電線にムクドリの群れが留まっていました。JR常磐線の陸橋からは日没の富士山が見えました。